ショパン/ワルツ集(全14曲)
・ワルツ第4番 ヘ長調OP.34-3 「華麗なる円舞曲」
・ワルツ第5番 変イ長調OP.42 「大ワルツ」
・ワルツ第6番 変ニ長調OP.64-1 「小犬のワルツ」
・ワルツ第9番 変イ長調OP.69-1 「別れのワルツ」
・ワルツ第7番 嬰ハ短調OP.64-2
・ワルツ第11番 変ト長調OP.70-1
・ワルツ第10番 ロ短調OP.69-2
・ワルツ第14番 ホ短調 (遺作)
・ワルツ第3番 イ短調OP.34-2 「華麗なる円舞曲」
・ワルツ第8番 変イ長調OP.64-3
・ワルツ第12番 ヘ短調OP.70-2
・ワルツ第13番 変ニ長調OP.70-3
・ワルツ第1番 変ホ長調OP.18 「華麗なる大円舞曲」
・ワルツ第2番 変イ長調OP.34-1 「華麗なる円舞曲」
ディヌ・リパッティ(Pf)
バッハのパルティータ第1番,モーツァルトのピアノ・ソナタ第8番とともに、'50年に録音されたリパッティ最後の録音。この4か月後に33才の若さで亡くなりました。
この折の生々しい様子が解説に記されています:
『1950年5月末、ジュネーヴのリパッティの主治医デュポワ=フェリエール博士から、「リパッティ録音可能、すぐ準備せよ」の電報をEMIは受け取った。
主治医によるとコーチゾン(彼の難病の進行を遅らせることの出来る当時の新薬。高価)によって病状は一時的に軽快したが、その効果はせいぜい2ヶ月しか続かないという。録音は急ぐ必要があった。
まずピアノはハンブルクのスタインウェイ本社工場からコンサート・グランドの新品を取り寄せることにした。録音機材は、仏HMVが南仏プラドのカザルス音楽祭録音のために米COLUMBIAに貸し出し中の最新型をスイスに回送させることにした。録音会場はラジオ・ジュネーヴのスタジオを借りることに決まったが、そのためにラジオ・ジュネーヴは放送番組を一部変更して協力した。
リパッティが録音の最初に選んだのがこのワルツ集で、全14曲のOKテイクを取るのに9日間かかった。』
レコードでは曲の番号順に並んでいませんが、これは敢えてリパッティが意図した配列と言われています。
彼の命を懸けた演奏に立ち会って下さい。