[CD-R盤]
ベートーヴェン/
交響曲第3番 変ホ長調 OP.55
「英雄」
劇付随音楽「アテネの廃墟」〜序曲
ヨゼフ・カイルベルト指揮 バンベルク交響楽団
1959年5月4日、1957年7月23日、バンベルク・旧ドミニコ会修道院「文化の間」(クルトゥアラウム)
モノラル、ライヴ収録
カイルベルト&バンベルク響によるベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」と「アテネの廃墟」序曲、それぞれ1959年と1957年のコンサート・ライヴ。
ドイツ在住ロシア人コレクターによる提供音源。
交響曲は音質の良さからエアチェックではなく放送局保管音源のコピー、序曲はエアチェックと思われる。
但し、序曲もエアチェックとはいうものの年代を考慮すればかなり良好な音質。いずれにしても1950年代末の録音の水準を上回り、特に交響曲は放送局によるモノラル録音末期、1960年代後半の音質と同等の高音質。
オリジナルの録音はバイエルン放送によると思われ、同放送局の録音技術の優秀さを示している。
なお、交響曲には既出CDがあり、1990年代?にバンベルク響定期会員向けに限定配布された。演奏・録音共に優れていたため実施されたのだろう。序曲は7月という異例の時期の演奏だが、夏の音楽祭などが開催されていたのかも知れない。
ディスク化に当たっては、交響曲はヒス・ノイズも極小で周波数レンジも十分広く、イコライジングによってバランスを微調整したのみで、まったく不満なく鑑賞出来る音質となった。
序曲はモノラルにもかかわらず位相ずれ(モノラル・テープをステレオ・レコーダーでダビングした際に生じたと思われる)や周波数バランスの凸凹があったためそれぞれ改善し、レンジも若干狭かったためソフトウェアにより高域を補完し、改善に努めた。結果として、特に優れた録音の交響曲には及ばないものの、こちらも鑑賞に堪える状態となった。いずれも会場ノイズは極小。
カイルベルトは1950年1月、バンベルク響の首席指揮者に就任、亡くなる1968年までその地位に留まり、同響の名声の向上に多大な貢献を行った。
ちなみに同響の前身は、1940年チェコのプラハで当地在住のドイツ系音楽家によって設立されたプラハ・ドイツ・フィルであり、同フィルの初代(にして一代限りの)首席指揮者もカイルベルトだった。同フィルは1945年5月に最後の演奏会を行った後、同年の第二次世界大戦終結によるドイツ人国外追放を受け、同フィルのメンバーがドイツ・バイエルン州へ移住して新たなオーケストラを設立、当初はバンベルク・トーンキュンストラー管と称し、1946年に現行のバンベルク響へ改称、ヘルベルト・アルベルト、ゲオルグ・ルートヴィヒ・ヨッフムなどが指揮を行ったが、1949年3月にカイルベルトが4年ぶりに指揮、聴衆とオーケストラから大好評を得、前述のように改めて初代首席指揮者となった。
当ディスクに聴くベートーヴェン2作品は、カイルベルト49〜51歳という、指揮者としてはまだ中堅に当たる年齢の演奏だが、すでに巨匠的風格を持った充実したもの。
オーケストラの技術レベルも安定期に入っていた時期であり、余裕を持って演奏している様子がうかがえる。特筆すべきは、「英雄」第1楽章コーダで原譜どおりにトランペットがテーマ演奏を途中でやめている点。1959年当時、レコーディングではピエール・モントゥーが実践していたが、極めて少数派だったことは間違いない。カイルベルトは独墺系の伝統的巨匠指揮者の一人と称されることが多いが、この辺りは研究熱心で決して因習にとらわれない見識があったことが理解出来る。
ヨゼフ・カイルベルトは、ベートーヴェン交響曲第3番「英雄」を1956年独テレフンケンにハンブルク国立フィルとスタジオ録音したほか、1939年シュトゥットガルト帝国放送管との放送録音、1968年バンベルク響とライヴ録音がある。
また、劇付随音楽「アテネの廃墟」序曲を1960年独テレフンケンにハンブルク国立フィルとスタジオ録音していた。
※総合カタログは下記を参照下さい:
https://www.ne.jp/asahi/classical/disc/index2.html
*【ご注意】
当商品はCD-R盤です。CD-Rは通常の音楽CDとは記録方法が異なり、直射日光が当たる場所、高温・多湿の場所で保管すると再生出来なくなる恐れがあります。
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